1週間の自宅安静

を言い渡された。

妊娠6ヶ月後半のことだった。

 

妊娠がわかってからというもの、つわりらしいつわりもなく、仕事も楽しく、比較的充実した日々を過ごしてきた。

アサインされているプロジェクトで、夏終わり〜秋にかけてがピークのものが3つほど。楽しいながらも忙しくなってきた最中だった。

 

先週末、日曜に担当のイベントがあり、1日中歩き回り、久々にヘトヘトだと思うほど疲れた。

翌月曜も出勤で、2時間立ちっぱなしになるプログラムを担当した。

日曜の疲れが抜けておらず、ところどころ座れるところで座りながら、なんとか1日を終え、「やっと休みだ。ダラダラするぞー」と思った翌日の朝、出血した。

 

検診の予定はなかったが、病院に電話で行った方が良いか尋ねたら来いとのこと。

内診された後、医師にめちゃめちゃ説教された。

 

「なんで仕事するんですか?」と聞かれたので、

「仕事が好きだからです」と答えたら、

「仕事が第一で、妊娠はおまけなんですねー」と言われた。

 

いやいや。妊娠は新たな命がかかっているわけだから、おまけなんかじゃない。

心からそう、思っている。

 

でも、仕事が好きなんだよね。産む直前までも、産んでからも続けたい。

 

初産で、これまでお腹の張りをきちんと自覚できていなかったし、仕事のセーブの仕方もわからなかったから、無理をしすぎた私がよくなかった。

これは今回学んだ一番の反省点。

 

でも、それでも。

なんかモヤモヤが残ってる。

 

妊娠・出産は、奇跡だ。

人の命がかかったものだから、「100に1はダメでもいいや」が通用しない。

リスクはできる限り回避し、受容するリスクは限りなく低くなければいけない。

 

が、まだ私の気持ちが、追いつかない。

 

仕事が好きだ。

産む直前までも、産んでからも続けたい。

 

この気持ちは、どこまで諦めねばならないのか。

 

 

急に1週間の自宅安静となり、職場にかなり迷惑をかけた。

そんな中でも「今はゆっくり休んで」と優しい言葉をたくさんもらい、直近の仕事は全て他の人に引き受けてもらった。

 

一つ、また一つと、

私の仕事だったものが、手から離れていくたび、寂しさが残った。

ありがたいながらも、心の中では悲しかった。

 

この気持ちは、どう折り合いをつければ良いのだろう。

わかりあえないことから

何かを学びましたな。それは最初はいつも、何か失ったような気がするものです。

バーナード・ショー

 

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

(若山牧水)

 

 

新しい視点を与える

ファシリテーターを務めているとき、新しい視点を提供したいと思って、その人の反対の意見を言ったりする。

そうすると、その人の意見を否定するようにも聞こえてしまって、どういう切り口でコメントを返せばよいのかわからなくて悩んでいた。

 

例えば、エネルギーの話で「風力発電は環境に良いからから良い」という意見が出たとする。

確かに、風力発電二酸化炭素の排出量は少ない。

一方で、バードストライキの問題はあり、そういう意味では"環境に良い"とは言い切れない。

だからと言って、そのまま「バードストライクという問題があります。そういう意味では環境に悪いです」というのはなんだか相手の意見を否定しているようで心に引っかかる、ということだ。

 

でも、今日先輩から良いアドバイスをもらった。

 

アドバイスは、

「まずその視点がどういう価値観に基づいたものかを気付かせ、受け入れた上で、違う価値観の視点から見ると、良い/悪いがひっくり返ることもあります。」

というもの。

 

前例でいうと、

【環境 = 地球温暖化でない地球の状態】とすると

CO2を排出しない風力発電は、「地球温暖化でない地球の状態」を守る発電方法なので、"環境"に良い

 

一方で、【環境 = 生態系が危険に犯されることなく暮らす地球】だとすると、

バードストライクのリスクがある風力発電は"環境"に悪い。

 

その人が発した"環境"という言葉が、何を指すのかをさらりと気付かせることで、「その価値観に基づいたあなたの意見を受け入れます。一方で、違う価値観もありますよね」とさらりと伝えられるのだ。

 

これが先輩から聞いたアドバイス

やっっぱりすごいなぁ。ちゃんと自分のものにしよう。

 

 

 

 

情報に価値を与える

科学が好きだ。面白いと思う。

 

だからこそ、

情報を「わかりやすく」伝えるよりも、「面白く」伝える。

 

そんなことを無意識のうちに目指しているのかもしれない。

 

「理解しあえない」ことを理解するということ

翻訳家の屋代通子さんのことば、「文化の翻訳不可能性」

 

せんだいメディアテーク館長 鷲田清一さんによる「対話の可能性」

 

どこかが、繋がるのではないか。

 

それは「不可能を可能にする」という傲慢なものではなく、不可能を受け止めた上で可能性を探るようなてさぐりなもの。

 

翻訳不可能性

(ちょっと前に書こうとして、下書きのまま忘れていた記事)

 

これを読み終わった。

半年くらい積読したのち、3ヶ月くらいかけて読んだ。長い道だった。

https://www.amazon.co.jp/ピダハン――-「言語本能」を超える文化と世界観-ダニエル・L・エヴェレット/dp/4622076535

 

1番心に残ったのは、(もちろん本編で心が動いたからこそではあるけれど)、最後の訳者の言葉。

 

『文化の翻訳不可能性に魅了され…』

 

翻訳家が、文化は翻訳不可能だと認め、さらにはそこに魅了されているという。

 

なんということだろう。

 

翻訳ではないけれども、私にもそれがわかる時が来るのだろうか。

 

中心にあるべきは果たして科学技術なのか

様々なステークホルダーをつなぐ

価値観の違う相手を思いやる…

 

社会課題の解決のためには、対話が重要。

 

では、中心のパイプ役は、科学技術が果たすべきものなのか。

それは課題に依存するのか。

科学技術のもつ特長とは何か。