わかりあえないことから

何かを学びましたな。それは最初はいつも、何か失ったような気がするものです。

バーナード・ショー

 

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

(若山牧水)

 

 

新しい視点を与える

ファシリテーターを務めているとき、新しい視点を提供したいと思って、その人の反対の意見を言ったりする。

そうすると、その人の意見を否定するようにも聞こえてしまって、どういう切り口でコメントを返せばよいのかわからなくて悩んでいた。

 

例えば、エネルギーの話で「風力発電は環境に良いからから良い」という意見が出たとする。

確かに、風力発電二酸化炭素の排出量は少ない。

一方で、バードストライキの問題はあり、そういう意味では"環境に良い"とは言い切れない。

だからと言って、そのまま「バードストライクという問題があります。そういう意味では環境に悪いです」というのはなんだか相手の意見を否定しているようで心に引っかかる、ということだ。

 

でも、今日先輩から良いアドバイスをもらった。

 

アドバイスは、

「まずその視点がどういう価値観に基づいたものかを気付かせ、受け入れた上で、違う価値観の視点から見ると、良い/悪いがひっくり返ることもあります。」

というもの。

 

前例でいうと、

【環境 = 地球温暖化でない地球の状態】とすると

CO2を排出しない風力発電は、「地球温暖化でない地球の状態」を守る発電方法なので、"環境"に良い

 

一方で、【環境 = 生態系が危険に犯されることなく暮らす地球】だとすると、

バードストライクのリスクがある風力発電は"環境"に悪い。

 

その人が発した"環境"という言葉が、何を指すのかをさらりと気付かせることで、「その価値観に基づいたあなたの意見を受け入れます。一方で、違う価値観もありますよね」とさらりと伝えられるのだ。

 

これが先輩から聞いたアドバイス

やっっぱりすごいなぁ。ちゃんと自分のものにしよう。

 

 

 

 

情報に価値を与える

科学が好きだ。面白いと思う。

 

だからこそ、

情報を「わかりやすく」伝えるよりも、「面白く」伝える。

 

そんなことを無意識のうちに目指しているのかもしれない。

 

「理解しあえない」ことを理解するということ

翻訳家の屋代通子さんのことば、「文化の翻訳不可能性」

 

せんだいメディアテーク館長 鷲田清一さんによる「対話の可能性」

 

どこかが、繋がるのではないか。

 

それは「不可能を可能にする」という傲慢なものではなく、不可能を受け止めた上で可能性を探るようなてさぐりなもの。

 

翻訳不可能性

(ちょっと前に書こうとして、下書きのまま忘れていた記事)

 

これを読み終わった。

半年くらい積読したのち、3ヶ月くらいかけて読んだ。長い道だった。

https://www.amazon.co.jp/ピダハン――-「言語本能」を超える文化と世界観-ダニエル・L・エヴェレット/dp/4622076535

 

1番心に残ったのは、(もちろん本編で心が動いたからこそではあるけれど)、最後の訳者の言葉。

 

『文化の翻訳不可能性に魅了され…』

 

翻訳家が、文化は翻訳不可能だと認め、さらにはそこに魅了されているという。

 

なんということだろう。

 

翻訳ではないけれども、私にもそれがわかる時が来るのだろうか。

 

中心にあるべきは果たして科学技術なのか

様々なステークホルダーをつなぐ

価値観の違う相手を思いやる…

 

社会課題の解決のためには、対話が重要。

 

では、中心のパイプ役は、科学技術が果たすべきものなのか。

それは課題に依存するのか。

科学技術のもつ特長とは何か。

 

世界観がかわるような

自分の夢がわかってきた。

誰かの世界観をかえるような、科学のコンテンツを提供したい。

 

科学は私の世界観を変えてきた。

それが顕在化したのが311だったのかも。

 

どんなコンテンツか。

それがあとはっきりすれば、今何をやるべきかが明確になる。

 

書き出して考えてみよう。